私がこの本を手に取った理由は、表紙に描かれた「貴婦人と一角獣」のモチーフに惹かれたからです。
タピスリーを知っていますか?
フランス語でタピスリー、英語でタペストリー。壁を彩る装飾の一つの織物です。
このタピスリーとジョルジュ・サンドを知っていると、この「ユニコーン ジョルジュ・サンドへの遺言」が面白くなります。
最初に言っておくと、「ユニコーン ジョルジュ・サンドへの遺言」は未完です。
読み終わって「え?これで終わり???」と疑問符ばかり浮きました。
それでも、「いつになるか分からないけどある」と作者の原田マハさんが言う続編に大いに期待してしまうのは、タピスリーとジョルジュ・サンドが魅力的だからです。
・ヨーロッパの文化に興味がある方
・時代の最先端の女流作家ジョルジュ・サンドの生涯を垣間見たい方
原田マハ
1962年生まれ。関西学院大学文学部日本文学科及び早稲田大学第二文学部美術史学専修卒業。
フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活動
2005年「カフーをまちわびて」第1回日本ラブストーリー大賞を受賞して作家デビュー。
ジョルジュ・サンドって誰?
ジョルジュ・サンドは1804年に生まれたフランスの女流作家です。
私にとっては作曲家のフレデリック・ショパンとスペインのマジョルカ島に愛の逃避行をした人でした。
ジョルジュ・サンドはとても美しく情熱的&積極的な人だったらしく、男性遍歴が賑やかです。
デュドバン男爵と18歳で結婚し、モーリスとソランジュという1男1女をもうけます。この2人の子供は「ユニコーン ジョルジュ・サンドへの遺言」の登場人物でもあります。
デュドバン男爵とは性格が合わず5年以上にわたる離婚調停の上、36歳で離婚。離婚調停中も多くの恋愛をしています。
ジョルジュ・サンドという男性的な名前はペンネーム。男装して社交界にでかけ「男装の麗人」と呼ばれます。
6歳年下のショパンと別れてからは政治思想家や「レ・ミゼラブル」を書いたビクトル・ユーゴーなどの文学者と交流。
一つの枠に収まることのない自由奔放な生き方に、凛とした気高さすら感じます。
そして71歳。物語にあるとおりノアンの館で息を引き取ります。
タピスリー(タペストリー)とは
ヨーロッパの館は石造りなので必然的に大きな石の壁ができます。
その壁に掛けた織物がタピスリーです。
とても精巧な絵柄が織られ、素材もウールだけでなく、金糸や銀糸をつかったものもあり、完成まで何年もかかるとても貴重なものでした。
タピスリーは冬は暖かさをもたらし、移動するときは丸めて持っていったというものなのです。
私は何も知らずにヨーロッパの城の見学に行き、広間に大きな織物が吊り下げされているのを見てカルチャーショックを受けました。
さて、この「ユニコーン ジョルジュ・サンドへの遺言」に登場するタピスリーは、「貴婦人と一角獣」と呼ばれており、なんと6枚からなる連作です。
「視覚」「聴覚」「味覚」「臭覚」「触覚」を示した5枚に加えて「我が唯一の望み」と名付けられた1枚です。物語の中でもミステリアスな存在として登場する絵のモチーフは、色々な解釈をされています。
正解はわからないのですから、それぞれが感じるままに解釈したいですね。
現在はパリにあるクリュニー美術館(国立中世美術館)に収められています。
ユニコーン ジョルジュ・サンドへの遺言
ジョルジュ・サンドは生前この「貴婦人と一角獣」について自身の作品の中で絶賛し、このタピスリーの存在を世に知らしめようとしました。
ジョルジュ・サンドが書いた文章をこの「ユニコーン ジョルジュ・サンドへの遺言」の中で読むことができます。
でも楽しみたいのは原田マハさんが書いた物語。
ジョルジュ・サンドも「貴婦人と一角獣」も出てくるこの話は実際に手に取って読んで欲しいと思います。
名だたる著名人が登場し、ジョルジュ・サンドの交友関係がうかがい知れ、「貴婦人と一角獣」との出会いが描かれた序章で物語は終わっています。
「我が唯一の望み」という意味深なモチーフが動いています。
きっとタピスリーにも、ジョルジュ・サンドにも興味がわいて、この話の続きを読みたくなるのではないかと思いますので、私の話はここまでにしておきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。