「聖堂囲い地(せいどうかこいち)」という響きが妙に気になった。
何なの、それ?
ブルターニュ地方のサンテゴネックという村にそれはあった。
ざっくり言えば宗教建築なのだが、16世紀から17世紀にかけて、大都市から離れたブルターニュ地方で作られたもの。当時はこの聖堂囲い地の美しさを競い合っていくつかの村で作られた。
なかでもサンテゴネック村の聖堂囲い地は完全に近い形で残っている。
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聖堂囲い地は、その名の通り囲まれた敷地で、なかには次の施設があった。
教会
納骨堂
墓地
門(凱旋門)
カルヴェール
この囲まれた敷地内は聖なる場所だ。
人々は上記の正門から入るのだが、罪を犯した人は入ることができなかった。
刑期を終えたら入場できたが、それでも正門からは入れず、この囲いが低くなった部分をまたいで入った。
出産したばかりの女性も正門から入れず、ここをまたいで入ったのだとか。人目をはばかる、屈辱的な感じ。
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カルヴェールとは文字が読めなかった人でも理解できるように、キリストの受難と復活を示した石の彫刻のこと。
カルヴェールの周りを一周したらキリストの生涯がわかるようになっている。
ゴルゴタの丘を十字架を背負って歩かされるキリスト、降架されたキリストの周りで悲しみに暮れる人、そして復活。
キリスト教徒でない私でも知っている内容だった。
ちょっと興味深かったのがキリストの横に当時のフランス王、アンリ4世の衣を着た人がいたこと。(つまりアンリ4世を表している)
アンリ4世はプロテスタントだったが、後にカトリックに改宗。その際「ナントの勅令」を出してプロテスタントの権利を守ったという人。
このカルヴェール、当時は彩色されていたのだそう。どんな色だったのか見てみたかった。
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教会の内部もステキだった。
珍しいキリストの家系図や、バラの祭壇、ブルターニュを竜から守った聖人も飾られていた。
中でも17世紀に作られたこのバロックの説教壇は、ブルターニュ彫刻の傑作と言われている。
ミサが終わると外に出て、女性たちは集まって噂話をしていたそう。
週に1度のおしゃべりタイム。さぞ、賑やかだったことだろう。
男性は死んだ後そのおしゃべりを聞くために、教会の入り口すぐ外に埋葬されていたのだとか。死んしまってから噂話を聞きたいのかちょっと疑問だけど。
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フランス、ブルターニュ地方独特の「聖堂囲い地」。この地方の文化を伝える興味深い場所だった。
少しでも伝わったら嬉しい。