海外に行きたくて海外に行ける仕事にも就き、今までに70の国と地域を訪ね、行くたびに写真も撮った。
今日はあの日から頭から離れない北アイルランドの家の話し。
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その日はアイルランドの首都ダブリンから電車で北アイルランドのベルファストに向かい、さらに北にある世界遺産のジャイアンツコーズウェイにバスで向かっていた。
アイルランドと北アイルランドは紛争が続き、和平合意がなされたのが1998年。今も時折いざこざのニュースを耳にするが、旅した頃は「紛争が終わっているからといって気を抜かないで行動しよう。」と、多少の緊張感をもっていた。
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よく晴れた日で、バスは海岸線を北に走っていた。
アントリム海岸という海岸線で、海岸と谷を含めた地域が自然美観地域に指定されているというだけあって、それは美しかった。
ただその美しさはビーチと海という夏の太陽が燦燦と降り注ぐ眩いばかりの心躍る景観ではなく、断崖の下に荒い波が打ち寄せているという力強い美しさだった。
冬は荒涼としていると思われる景観は、青い空と濃い緑の木々のおかげで荒れ果てた寂しいイメージは薄らいでいたけれど、何かに立ち向かっているんだという、凛とした強さがあふれ出ていた。
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何度目かのカーブで道路から急にせりあがる丘の上に、海に向かって一軒家が建っているのを見た。
道路へ続く前庭がその家のものかわからなかったが、芝生のような緑の絨毯で覆われていた。
その家の一階は一面がとても広いガラス張りのポーチだった。
そして、海に向かって白い椅子が2つ置かれていた。
遮るものがない大きな窓。
椅子に座れば、一面に海が見えるはずだ。
私はその家に心を鷲掴みにされてしまった。
今ここに一つの家族が住み、時に海を眺めて一日を過ごしている。
なんて静かなんだ。
こんな家に住みたい。
色々な想いが一瞬でわきあがり、私は左を振り返ってもう一度その家を見た。
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しばらく経ってアイルランドで撮った写真の中にその家の写真を探したが見つからなかった。
はっきりと目に浮かぶその景観は写真に撮ったものではなかったのだ。
今もその一瞬は私の中に残っている。
そして私は今もその家に住みたいと願っている。