【旅の記録】ブルターニュ地方にあるサン・マロという海賊が住んだ港町

サンマロ 旅行

フランスの北西部に張り出した半島がある。そこはブルターニュ地方と呼ばれている。 

ブルターニュ地方にはケルト人を祖先にもつ人々が住み、自分たちをフランス人ではなく、「ブルトン人(ブルターニュ人)」と呼ぶ。

半島の付け根にサン・マロという港町がある。

世界遺産のモンサンミッシェルの近く、といったほうが分かりやすいかもしれない。 

そのサン・マロに住む人は自分たちを「サン・マロ人である」という

ブルターニュ人でもなく、フランス人でもない、というアイデンティティだ。

JackieLou DLによるPixabayからの画像

サン・マロは15世紀中ごろまで島だったので独立心に富む人が多かった

元々「海のサン・マロ」という名前で呼ばれ、ヨーロッパでは最も裕福な港だった。 

裕福だったのはコルセールと呼ばれる王室公認で外国船の獲物を奪う権利を与えられた民間の武装船、つまり海賊の拠点であったからだ。

コルセールの分け前の分担は決まっていた。
1/3が王に、1/3が船を貸した海運業者に、1/3が自分に。

身体を張る海賊も濡れ手に粟の王も海運業者も同じ比率というわけだが、皆Win Winの関係で町が繁栄したのだ。 

それにしても王室公認のやりたい放題。狂暴な海賊の拠点の町として悪名高かった。

◇ 

活躍したのは海賊だけでない。
探検家たちもサン・マロの港から出航していった。 

その一人がカナダを発見したジャック・カルティエ。 

赤毛のアンの舞台プリンス・エドワード島を発見し、カナダのケベック州にあるセントローレンス川をさかのぼって今のモントリオールまで進んだ。

1608年に時のフランス王アンリ4世が植民地ケベックシティを作り、カナダのケベック州ではフランス語が今も話されている、というのはまた別の話。

このアンリ4世は非常に有能な王で、国民の信頼を得ていた。

ブルターニュ公国をフランスに組み入れた際もサン・マロ人が独立性に富んでいることを見抜いて、フランスになれば税金を免除するとした。

武力弾圧ではなく、懐柔させていったのだ。

 ◇

Nabih-El-Boustani/Unsplash

さて、サン・マロの街だが、ここはものすごく頑強な城壁で覆われている

12世紀から18世紀にかけて建てられた城壁は当時有名だった建築家ボーヴァンとその弟子の作。 

城壁も守る必要があると考えて、海の中にも城壁を守るものを作っていった。

これほどまでに何から守らないといけないかというとイギリスだ。
ここは英仏海峡に面した港なのだ。

サン・マロの建物は高い。
もともと1,000人位の人しか住んでいなかったが、18世紀には2万人の人が住むようになった。

そのため、建物を高くする必要があったのだ。 

なぜ人が多くすんだのか?

特に罪人が罪を問われないという特権があったからだ。

サンマロの門
Nabih-El-Boustani/Unsplash


1772年までは夜10時に大聖堂の鐘を鳴らして城壁の門を閉めていた。 

それと同時にビーチに犬を放して町を防御していた。
犬も12匹のグループが2つあったとか。 

 1772年に貴族がこの犬に噛まれて大問題となって犬を放つことをやめたそうだ。

夜10時の鐘は今も鳴っているのだろうか。

 城壁だが、今は海を眺める散歩道として整備されている。

 ◇ 

サン・マロでもう一人忘れていけない人がいる。 

作家であり、政治家であったシャトー・ブリアン(フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン)だ。 
1768年サン・マロに生まれたシャトーブリアンの父はコルセールの船長であった。 

「アタラ」「ユネ」など彼の作品は日本語でも出版されている。

サンマロ干潟
Nabih-El-Boustani/Unsplash

 サン・マロの沖合に「グラン・ベ」という島がある。 

干潮時には徒歩で島まで歩いて渡れる人気の場所だ。

 かつては海上要塞としてたくさんの大砲が置かれた島だが、ここにシャトー・ブリアンの墓がある

 死の20年前に自分をこの島に埋葬してほしいと要請した。

サン・マロの市長はシャトー・ブリアンの埋葬を許可する代わりに港の修復費用の工面を要請したのだとか。

 パリで亡くなった遺体は遺言通りサン・マロに運ばれ、グラン・ベ島に立ったまま埋葬された。

葬儀には200人の司教、1万人の人が参列し、干潮の海に3,000人もの兵士が立って敬意を示したそうだ。 

ちなみにグラン・ベ島の「ベ」というのは墓という意味。
ブルアターニュ語では犠牲を示す。

 シャトー・ブリアンというと牛肉を思い浮かべる人がいるかもしれない。

 そもそもシャトー・ブリアンが牛肉のヒレ肉の一番よい部位が大そう気に入ってそればかり食べていたそうで、その部位をシャトー・ブリアンと呼ぶようになったという逸話から来ている。 

  ◇

クイニアマン

 最後にブルターニュのお菓子を一つご紹介して終わることにしよう。

 クイニアマン。

 一時とても流行ったので食べた方もいるかもしれない。 

ブルトン語でクイニ=お菓子、アマン=バターという意味だが、ブルターニュ産のバターにはブルターニュの塩が入っている。 

たっぷりのバターで外側がパリっとしている。甘味とともに塩気のある美味しいお菓子だ。
パン屋さんで売っているかもしれない。

画像4
Teddy-Charti/Unsplash

物騒な話が多かったかもしれないが、今のサン・マロは美しいビーチがある港町だ。 

こんな歴史ある港町も機会があれば訪ねて欲しい。  

写真提供Top:Pascal-Bernardon/Unsplash

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